駒立ちぶどう狩りの歩み

ぶどう狩りが始まった当初の開園式
ぶどう狩りが始まった当初の開園式
 
ぶどう狩りの受付風景
当時(昭和30年代)頃のぶどう狩りの受付風景
   岡崎市内中心部より北東へ10km程に位置する山合いで、戦後間もなく養蚕に変わる作物として、当地域の環境に合った『ぶどう』に注目をし3名程の先駆者により栽培を始められました。

名鉄バス開通式
名鉄バス開通式
   その後、昭和35年に名鉄バス路線が開通しました。運行が開始されたのを期に、当時安城の梨狩り・矢作のイチゴ狩りなどを見て、観光農園の話がもちあがり、名鉄・市・農協など各団体の協力を得て、駒立町果樹組合にて駒立ぶどう狩りを始め、翌年には駒立ぶどう狩り組合を設立しました。

 昭和35年初年度には、名古屋方面などからの来客で3,000名の入園者数があり、年々来園者も増え、40年を過ぎた現在では40,000名程の来園者があり、栽培面積も12ha程となりました。
 ぶどう狩り園としては東海随一の規模を誇っています。
  名鉄バスで来園されたお客様
名鉄バスにて、ぶどう狩りに来て頂いたお客様。
(昭和40年頃)

開園20周年記念写真
ぶどう狩り開園20周年の記念写真
   ぶどう狩り組合を設立した当初は、組合員数8名で発足しました。
 時代の流れの中で、最高15名の組合員がありましたが、現在では、後継者等の問題で8名の組合員となり運営をしています。

 この他に個人で、遅くよりぶどう狩りを始められた方もあり、当組合とは運営を異としています。   家族づれで賑わう『ぶどう園』
家族づれで賑わう『ぶどう園』

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