女将の人生ドタバタ日記


第1回
女将 永山淑子
女将 永山淑子
 
私は飛騨高山の隣村の丹生川村で生まれました。父親が医学の道を志して若い頃、奈良県に移り住みました。やがて戦争が激しくなり疎開したのが丹生川村でした。この地を選んだのは母親の姉弟のいる場所が岐阜県下呂町近くの小坂町だったこともあるようです。私は戦争が終わってからこの丹生川村で生まれました。当時は生活が大変だったので両親は小さい弟をつれ出稼ぎに行くこともありました。そんなとき妹と私は厳しい冬をすごしたのでした。
 しかし、隣近所のおじさんやおばさんは子供である私達に食べるものなどもってきてくださったりととても親切でした。
 大人になりやがて結婚をし主人との間に6人の子供に恵まれました。ビジネスホテルこさなぎは一番下の娘がまだ乳飲み子の頃でした。4人の子供が年子であったため子育てだけでも大変で不安もありました。でも、なぜかこの仕事が自分の使命でもあるかのように思ったものです。
 お客様の帰ったあとは大量のおむつが干してある日が続きました。あとから近所の人から聞いた話ではいつもこさなぎさんは「おむつ」がいっぱい干してあったといわれました。
 思い起こしてみますと私は飛騨の山々に囲まれ厳しい寒さのなかにもとても親切でやさしい心に触れて育ったことがわたしの源になっているように思うのです。何もしらないままはじめたホテル業でしたが、大きな投資をしてその借金を返済していかなければならないという思いで夢中で走ってきました。
 「こさなぎ」は私の大好きな丹生川村の面影を追い求めた品々がいっぱいおいてあります。このドタバタ日記は、かつてを思い起こしながら書いていきたいと思っています。

かやぶき民家が描かれた絵画
飛騨の山

飛騨を思わせる、かやぶき民家が描かれた絵画。1階ロビーに飾られている。

ふるさと飛騨の山々




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