名馬・磨墨


名馬 磨墨の里
名馬 磨墨の像
当館には名馬磨墨の像と説明板があります。
また、当館だけでなく明宝には、磨墨を祀った像や碑文が、数多くあります。それだけ、この地で磨墨が愛されてきたことを物語っています。磨墨の像を見上げて、戦国の世に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
  名馬 磨墨の像と掲示板


磨墨の生涯
今からおよそ八百年前、某家の牝馬が気良の北方烏帽子岳の麓、巣河の地において天馬の種を宿し生まれたのが磨墨です。その名のとおり色はあくまで黒く精悍な容姿でした。
磨墨は、毎朝自分で厩栓棒を外し巣河に向かって走り、蘭とも蛍草とも言われる霊草を食み、大滝の奥の乳白色の霊泉を飲み、形質ともに類のない駿馬になりました。
現在、磨墨のゆかりを誇る気良の田城・下倉の両家には古くから轡を伝えています。弥右衛門という家には馬みの幅が二十センチもあって馬の治療に霊験あらたかなものとされる巨大な轡が伝わっています。

騎馬武士
馬   元来この地は、寒冷・高燥かつ石灰分に富む良質な草が得られ、幕藩時代からこの度の大戦頃まで、高名な馬の産地であり、また往時のいわゆる鎌倉街道筋と言われることからも何らかの関わりがあって磨墨が源頼朝公の手に渡ったのだろうと言われています。
その後は、梶原源太景季の馬として幾多の戦いに活躍し、最後は尾州羽黒(現在の犬山市)で没したと言われています。その英霊は梶原家の菩提寺興禅寺に手厚く祀られています。

名馬 磨墨の活躍
『宇治川』の合戦は、寿永三年(一一八四)一月 木曽義仲軍勢と源義経軍勢が宇治川をはさんで戦いました。
この時、源義経がたの武将・梶原源太景季は「磨墨」佐々木四郎高綱は「いけづき」を駆って宇治川に乗り入れ先陣を争いました。磨墨・いけづきは、ともに当代きっての名馬の争いでもありました。
梶原源太景季の乗った磨墨は、馬産地明宝気良の産と語り伝えられ轡も残っています。また、夏の郡上踊りの一説
  郡上は馬所 あの磨墨の名馬出したも気良の里 
と唄われています。





名馬 磨墨の謎を追う
謎を追う 名馬と花の武士  

謎を追う 名馬と花の武士
   [文・写真] 波多野 いと子
  出版社:文芸社
  価格:1,000円(税別)

鹿児島県甑島で偶然に、ある武将の墓を発見したことから謎解きの旅がはじまった。
鎌倉幕府設立に深く貢献した梶原景時、景季親子、そして名馬“磨墨”を追い求めた歴史ロマンの旅。


■第一章 え?どうしてこの人がこの地に?
■第二章 天馬が舞い降りる気良の里
■第三章 名馬を追って
■第四章 梶原源太景季とは
■第五章 梶原一族出生の地
■第六章 宇治川先陣争い
■第七章 箙の梅と一の谷
■第八章 平家滅亡へ
■第九章 梶原景時 終焉の地
■第十章 離島にある景季の墓
■第十一章 甑島物語 ― 『甑島物語』 松竹秀雄著より ―




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