中高年に働く場作りをと起業したミツグー食品
2000年4月7日
中部経済新聞掲載


 中高年に働く場作りをと起業した
ミツグー食品 

【なんでモアール】 〜全国の名産品・特産品を集めたショッピングモール〜
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 40代の働き盛りまで造船所に単身赴任で勤めていた、愛知県知多市 ミツグー食品の坂口貢一氏(60歳)は勤めていた会社が不況に陥り、リストラが盛んに行われるようになってきたことから、どうしたものかと考えた末「家の近くで働いたら」の奥さんの一言で退職した。昭和62年 社員40数名の漬物会社に入社した。全くの違った分野であったが、結果的には一生の仕事の基礎はここで培われた。入社当時の漬物工場は手仕事がほとんどで、漬物の調味をやりながら効率の悪い工場を何とかできないかと毎日考えていた。機械の設計や鎔接技術をもつ坂口さんはその技術をいかし、自分で機械をつくり除々に会社内の近代化を図っていった。
ミツグー食品社長坂口貢一氏
ミツグー食品のらっきょうたち
 工場内の仕事は大変な作業のところもあったり楽なところもあったりとバランスが悪かったが、機械をつくったことによって均等化されていった。6〜7人でかついでやっていた仕事も機械化によって2人でできるようになった。仕事を一生懸命やる人とやらない人との差も大きかった。上司にコネを使う人は待遇が良い。調味の仕事で入ったが、作業効率の悪さを本社の専務に話したところ「君に一切任せる」と言われ入社3年目で副工場長に昇格し工場内の大改革を実行したのだった。 
 40数名いた社員も30名に減らした。5億だった売上も10億に伸びた。売上が伸びた要因には機械化によって一定の味が保てるようになり、お客様から「おいしい」と支持されるようになってきたこともある。上司に隠れて楽をしていた社員はやがて辞めざるを得なくなった。いやがらせも受けたこともある。すべてまかされた坂口さんはまず自分が先頭にたって仕事をしてきた。朝6時から出勤をして、トイレやボイラーの掃除をした。出勤した社員がすぐ仕事ができる様に湯をわかして準備もした。急速に売上も上がり、特別一時金として6〜7回手当てを貰った。 辛しらっきょう
キムチらっきょう
 当時の会社は製造工場にはあまり目をむけていなく工場長に任せきりで、あまり成果は上がっていなかったが、坂口さんが入社した事によって安定した企業として成長することとなった。そんなころ「らっきょうとれんこん」に出会う。当時、らっきょうは今ほどうれていなかった。会社にはいちばんの売り物になる商品がなかった。おいしい「らっきょ う」を作る為にテストをくりかえした。本部へもらっきょうを製造するよう提案した。鳥取・福井・栃木・徳島・宮崎など全国のらっきょうの産地を会社の休みを利用して回った。やがて、らっきょうが坂口さんの一生の仕事として心の奥深く育っていった。
 
 
本社に提案しても通らなければ自分で創ろうと考えた。こうして起業を決意して独立した坂口さんは、工場も建てた。最高級の材料をさがし自分の目で確かめ仕入れている。素材が悪いといいものは出来ないからだ。良いものをお値打ちに提供したいとインターネットでも販売する。仲介業者が中に入ると高くなるので出来るだけお客様にお値打ちに販売しようと坂口さんは営業に回る。コシコシと歯ごたえの良いらっきょうはおいしくてかなりいける。我が家の食卓にも欠かせなくなった。いま、日本は高齢化社会になった。四人に一人は60歳以上という。一生の仕事として選んだ「らっきょう」づくりを地域の中高年の皆さんが働く場所としても創っていきたいとがんばっている。

お問合せは・・・
 ミツグー食品 
〒478‐0015 愛知県知多市佐布里字五明64−3
TEL 0562‐54-1161・FAX 0562‐54-1162


コシコシと歯ごたえの良い、ミツグー食品のらっきょう
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『うつりゆく商業環境と躍進するまちと店』
広野 嘉代子