2000年6月16日 中部経済新聞掲載 |
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| 山本茂実作「あヽ野麦峠」の文中には、「工女宿となっていた八ツ三旅館の前は工女の荷物を取りに来た親たちで、ごった返して、廊下や裏庭は足の踏み場もなかっ た。当時、工女宿といわれたものはただ単に工女を泊めるというばかりでなく、送り迎えは勿論、検番たちの工女募集の根拠地となり、工女荷の集散までやって、あたか も信州製紙の出張所のような役割を果たしていた。」とあるが、八ツ三館は、約14 0年前、初代三五郎が越中八尾町(富山県)からこの地に移り、出身地の八尾と三五郎の頭文字をとり「八ツ三」の屋号で旅館を営んできた。 |
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女工さん達が着飾って巡拝した、古川の嫁を見立ての三寺まいり(本光寺・円光寺・ 真宗寺)の一つで飛騨のなかでも一番大きな建築物である、本光寺が当館の川向こうに見える。当時のままの雰囲気を守り続けたおもむきは、静寂のなかに落ち着きと安 堵感が漂う。八ツ三館の経営者で館主の池田高佳氏はこの時を越えた温かさとぬくも りのある、たたずまいを今に残すと共に、新しいものをふんだんにとり入れ、経営を してきた。館内を取り囲むように庭園がひろがり、どの部屋からも庭が眺められる。 | |
| 「すばらしい庭園ですね」と館内を案内して下さった池田氏に声をかけた。これはすべて私の手づくりの庭なんですと。石や庭木・花を自らいろいろ各地をまわり選び抜いてくる。そして、ブルドーザーやショベルカー・ユンボなど造園業顔負けの道具もすべて揃えて庭をつくる。その日も何種類かの庭木が植え替えされようとしていた。この花木はこの位置のこの角度から見えるようにとバランスを考えて植えて行く。 まさしく手づくり造園でプロ級の腕前だ。私は全国各地のいろいろな事業を営んでいる経営者にお会いする機会が多い。そのなかでも、事業を成功させている経営者には、 どこかキラッと光るものがある。池田氏にはそれがある。八ツ三館の隅々まで池田氏の思い入れがそこにあった。 |
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不況に喘いでいる旅館やホテルは多い。観光地に行けばお化け屋敷と化している建物が無残にもそのまま放置され、周辺のイメージを大きく損ねている。いろいろな条件でそうなっただろうから、すべてとは言わないが、その経営者にはしっかりとした経営哲学を持っていたのだろうか、と問いたくなる。かつて栄えた事業を繁栄し続けることは至難の技である。 八ツ三館は古い町並みに同化するように当時のままの面影が残されている。しかし、館内はその古き良き時代の面影を残す本館と、斬新な色づかいをたくみに取り入れた、別館観月荘があり以外性もあって見事だ。睦月・ 如月・弥生と12ヶ月の客室の名前がつき、季節の趣向に合わせた紫や赤・グリーンの壁に囲炉裏が妙にマッチしていて斬新な感じがし若いお客様にも受け入れられそうである。分厚い扉もそのままになっている、昔の蔵を生かしたみやげ物売り場。真っ赤な壁にほのかなあかりがともり、ちょっとよりたくなる化粧室。館内の隅々のいたるところに心遣いがある。 | |
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ご来館のお客様には池田氏みずから「祝い歌」を歌いお迎えし、当館の説明をする。
一年に5回くらい宿泊されるお客様もあり、2〜3回の人は多い。一度訪れたお客様が次にはお友達を連れてくる。そして、次にはご夫婦でといった具合に口コミでファンが広がってきた。この八ツ三館は当館のおかれた歴史的資源を伝承していく重要な役割と、新しいものを常に研究し取り入れて行こうとする、しっかりとした池田氏の経営哲学を持って事業を営んでいるところにこの繁盛があるようだ。
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| トピック履歴一覧へ | 中部経済新聞連載記事(毎週金曜掲載) 『うつりゆく商業環境と躍進するまちと店』 広野 嘉代子 |
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