2000年6月30日 中部経済新聞掲載 |
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| 飛騨高山から約1時間ほど北アルプスに向かって国道158線をはしり、長い平湯 トンネルを抜けると残雪の山々が広がる。素晴らしい眺めとなるここは上宝村である。何度おとずれても感動してしまう魅力がそこにはある。しばらく降りて行くと右手が平成10年に開通した安房トンネルの入り口にさしかかる。観光客が年間150万人訪れ、そのうち宿泊客は90万人。奥飛騨温泉郷は、平湯 ・福地 ・新平湯 ・栃尾 ・新穂高と5ヶ所からなる。人口 4700人と少ないが面積は広い。温泉のなかでも平湯温泉は歴史が古く奥飛騨温泉郷の最初と言う。大正から昭和の頃から先々代が始めていたと言う岡田旅館(岡田昇社長)も、そのころは湯治場として栄え、現在に至るまで繁盛し続けてきた。 |
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岡田旅館の昭和5年当時の宿泊料金表や昭和15年頃の平湯温泉の新聞広告など、 いたるところにその面影が残り風格がある。川のせせらぎやうぐいすの声が聞こえ自然を満喫できること、この上ない環境が疲れた体を癒してくれそうだ。この地にはたんぼがないのでお米がとれなく湯治場の料金はお米と交換してきた。田植えが済んだ後や秋の収穫後には農家の人々の湯治場となってきた。平湯の地域はもともと14件から始り、分家の形で増えてきてほかの地域からの参入者はいない。平湯温泉の発展は岡田氏と地域の人々が中心となって、共に守り育てた大事な温泉地であり、結束力の強さも伺える。 | |
| 全くの天然温泉で90℃以上あり、そのまま温泉に入るには熱くて75℃くらいに調製してだしている。岡田旅館では「くつろぎ・やすらぎ・遊びごころ」の3つを満喫してもらう為、ジャグジー・ジェット風呂・打たせ湯と浴槽を設け、お客様に喜ばれている。この温泉地平湯には昔から守護猿伝説がある。「その昔、信濃の国で上杉 謙信とひどい戦いを続けていた武田信玄が越中を手に入れようと考え、飛騨を攻め入ることにした。大将山県昌景は、軍勢を引きつれて峠越えをしたが、皆疲れ切っており、その上硫黄岳の毒霧が出て倒れるものが続出した。やっとのことで、平湯あたりに着いたとき、老いた白猿が皆の前を歩いて道端の湯に導いてくれたと言う。皆で湯につかり疲れを癒し、みるみるうちに元気を取り戻した。この話が広まり遠くから平湯を訪れる様になったと言い伝えられてきた。」 |
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450年のときを越え語り継がれた伝説が、いよいよこの2000年5月にミレニアムグッズ 「お守り商品」として平湯・猿満堂より販売を始めた。縁結びの巾着お守りやねづけ ・絵馬・ストラップ・インテリア箸置・円満ホルダー・座布団お守り・スイッチホル ダー・安眠枕と可愛いお守りグッズが誕生した。安眠枕はしずかな眠りに誘ってくれそうだ。観光開発は雪の多い平湯に壮大な平湯大滝のライトアップを実現させた。昨年の冬仕事で平湯を訪れたとき、真っ白な雪景色のなかに突挙現れたブルーの氷の大滝に魅せられてしまったものだ。 | |
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そして、歴史ある平湯の湯を生かして平成9年7月三井金属の療養所跡地15 000坪の地に平湯の有志23名で「ひらゆの森」をオープンさせた。悠久の原生林のなかに13の森の湯がひろがる。岡田氏が「ひらゆの森」の社長も務める。こうして平湯を大観光地として守り育ててきた岡田氏の地域を愛する気持ちは、岡田旅館の繁栄だけでなく、この地を守って行こうとする強い意思が伝わってくる。全国に観光地は多い、かつて発展してきた観光地もいまは寂れて朽ち果ててしまったところも少なくない。へんに開発をしすぎても魅力を失う。平湯にはみんなで守り育んで行こうとする熱意と意気込みがあることが岡田社長の言葉から伝わってきた。 |
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| トピック履歴一覧へ | 中部経済新聞連載記事(毎週金曜掲載) 『うつりゆく商業環境と躍進するまちと店』 広野 嘉代子 |
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