2000年7月28日 中部経済新聞掲載 |
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先週の記事でも紹介した飛騨朝日村で、人気のスポットは秋神温泉である。朝日村役場は村の入り口付近にあり、7月26日にオープンした「道の駅 ひだ朝日村」 も少し通りを走るとそこにある。私が朝早く車を走らせて通った時には、7月30日開催の「ドスコイ祭り」にあわせ力士の皆さんが練習に励んでいた。花篭部屋力士の巡業合宿中と言う。台風の影響もあって晴れたり曇ったりで、急に雨になったりと不安定なお天気だった。秋神トンネルをくぐりぬけ、秋神ダムを通りすぎてしばらく道なりに走り続けると、まわりの秋神温泉自然散歩村の花達が迎えてくれる。 |
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秋神温泉・小林繁社長に「ビオトープの森、秋神温泉自然散歩村」と名付けられた森を案内して頂きながらお話を伺った。秋神温泉は昭和10年のまだ飛騨地方が観光地化していなかった頃に小林社長の父親が事業を始めた。御岳山の登山口でもある。当時は8ヘクタールの山林をキャンプ場として大勢のお客様に来て頂いていた。子供達はハイキングをし、自然観察の勉強の場として林間学校となっていた。岐阜県下でも2番目に数えられるほどのユースホステルとして有名となった。県からも認められモデルキャンプ場になった。小林社長は父親の跡をつぎ山菜料理を研究しながら昆虫や植物の研究も始めた。昭和30年の頃から現在も続けているが、森や木、花や昆虫の話しを訪れる人々に話すようになった。そうした成果が認められモデルキャンプ場となった。 | |
| 東海ユースラリー(ユースホステルの大会)も行ってきた。やがて山菜料理が珍しいと評判になった。この料理は山菜を使った独特の料理方法でお客様に評価されることとなる。昭和40年頃には飛騨地方も観光開発ブームになってきた。消えて言ってしまう森を見て、これでいいのだろうかと憤りをも感じ、この森を何とか守らなければと痛切に思ったという。アゲハチョウをたくさん飛ぶ森にしようと! そうするためにはアゲハチョウの食草をたくさん植えなければならないた。今ではアゲハチョウやとんぼが飛び交う森になった。長い間やってきたキャンプ場やユースホステルも 森を守る為に辞めることにした。キャンプ場を止めると宣言したところ署名運動が起こり已むなくキャンプ場経営を一年延ばした。昭和43年頃のことだ。 |
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てまひまかけて本物の味を追求したいと考え、お客様の収容人員も減らし、本当の料理をゆったりと自然のなかで味わっていただく旅館にしたい。それが小林社長の大きな夢であった。山の一軒家だったからやった。しかし、厳しい雪のなかの旅館の生きる道がなかった。ふと、小学校の頃、秋神ダムから4kの通学路を歩いて通っていたころ、4〜5メートルのブロックの美しいブルーの氷が見えていたことを思い出した。この美しい氷の光をみんなに見てもらおうと始めたのが「氷点下の森」である。昭和45年秋から工事をはじめ46年1月にオープンした。 | |
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その年の2月には新聞に取り上げられ世間に広まった。今では村あげての一大イベントとして成長した。このほど岐阜県観光地メイクアップ推進事業の優秀賞に入賞し、氷点下の森を守る会(会長 橋本
静男)が表彰を受ける事にもなった。自然散歩村を守り育てることは自然を相手だけに一朝一夕にできるものではない。小林社長の森を愛し育てる気持ちは、ただ商売をして金儲けをするだけのものではない、自分の生涯を森にかける男の心意気が伝わってきた。 |
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| トピック履歴一覧へ | 中部経済新聞連載記事(毎週金曜掲載) 『うつりゆく商業環境と躍進するまちと店』 広野 嘉代子 |
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