2000年8月18日 中部経済新聞掲載 |
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飛騨丹生川村は国道158号線のコスモス街道を中心にひろがる村で、乗鞍岳を望みスカイラインもここから通じている。観光旅館 四反田 (代表 足立 靖)は丹生川村役場から車で5〜6分の田園風景の中にある。国道沿いに大きな看板があり良く目に付く。四反田の代表者 足立 靖氏は2代目のバリバリの若手経営者だ。足立家は豪農の旧家である。資産家だった足立家は蔵をいくつも持ち、画家を呼んで絵を描かせていたりした。その頃の屏風が今も大切に残されている。築180年のこの家は、磨き込まれた太い大黒柱や家具が当時のままに残されていて飛騨の旅情と風情が満喫できる。大きな4反くらいの田んぼがあったというが、そこから四反田になったかはさだかではない。 |
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靖氏がまだ小学校3年の時に父親がなくなった。民宿を始めたのはそれからのことで、働き手を失って農業だけでは先行き不安を感じた靖氏の母親と祖母が大きな家を生かして民宿を始めた。あれからすでに28年になる。そのころはまだ民宿のはしりであった。まず看板を出し本家の4部屋だけではじめた。朴の木平のほうには冬季のスキーシーズンだけの民宿はあったが一年を通じで営んでいる民宿は三分の一ほどだけだった。全くの宣伝なしでだったのでフリーのお客様が殆どであった。朴の木平スキー場周辺にはスキーシーズンだけ営む民宿が多くあるが、四反田はこのスキー場からも離れているので厳しかった。しかし、幸いにして周辺市町村の宴会場として使っていただくようになり、今でも全体の4割は地元客だ。 | |
| 朴の木平スキー場周辺の民宿はスキー客相手の商売であって、一年を通しての仕事にはならなく、今では2代目は勤めに出てしまっているらしい。祖母や母親も調理士免許をとり頑張ってきたが、それでも宴会が多くなると仕出しをとって対応してきた。靖氏は長男ということもあって自然に跡を継ぐべきものと考え、調理学校やホテルへ修行に行き、調理師の勉強をしてきた。一年半も過ぎた頃には家が忙しくなり帰ることになった。地元の宴会を広げたり民宿といろんな顔をもつよろずやでやってきた。一度きたお客様から除々に口コミで広がりをみせてきた。宴会での広がりは地元を含め周辺市町村からも評価を頂くようになった。 |
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しかし、片手間で調理の勉強をしただけで、 しっかりと勉強をしていたわけではなかったので、料理に限界を感じ始めていた。そこで板前をしている同級生を無理に頼み料理専門にやってもらうスタッフを2名にした。料理が良くなった事で一気に宴会や法要も広がってきた。半分くらいが村外のお客様の宴会だ。やがて安房トンネルが抜けると言う事で、民宿では各部屋にトイレつきの部屋がほしいと思いきって別館を創る事を考えた。昭和63年 靖氏 30歳の挑戦だった。1億円の資金を投じて別館を建てた。料理に自信がなかったが、板前が入ったことで自信がもてるようになった。大女将と女将2人がお客様の対応をする。 そして、靖氏は営業にまわった。 | |
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連絡 四反田 電話0577〔78〕1143 岐阜県大野郡丹生川村北方 |
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| トピック履歴一覧へ | 中部経済新聞連載記事(毎週金曜掲載) 『うつりゆく商業環境と躍進するまちと店』 広野 嘉代子 |
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