エコロジーを考えた飛騨高山テディベア エコビレッジ

2000年9月1日
中部経済新聞掲載



エコロジーを考えた飛騨高山
テディベア エコビレッジ

【なんでモアール】 〜全国の名産品・特産品を集めたショッピングモール〜

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 テディベアとは、アメリカの第26代大統領セオドア・ルーズベルトからとった名前である。テディベアが初めてこの世に出たのは1903年で、その前年、テディベ ア誕生のきっかけとなる重要な出来事があった。1902年11月、狩猟好きとして知られるルーズベルト大統領はミシシッピ―州へ熊がりにでかけた。ところがその日は不猟で、一匹も仕留めることが出来なかった。そこで、同行していたハンターが一匹の小熊を捕獲し、木に縛り付けて大統領にとどめの一発を撃つように促した。けれども大統領はスポーツマンシップに反することは出来ないと即座に小熊を逃がした。

飛騨高山テディベア・エコビレッジ取締役・館長の岡田賛三氏
        テディベアたちでうめつくされたベアショップ
 このエピソードが、翌日のワシントンポスト紙で、小熊を助ける大統領のイラストと共に報じられ、多くの人々に感銘を与えた。ニューヨークでお菓子屋を営んでいたロシア移民のミットム夫妻は、イラストの熊をぬいぐるみに変身させ、記事と共にショーウインドウに飾った。これがテディベアの始りと言われている。その後、アメリカ・ ドイツ・イギリスの玩具メーカーを中心に様々なベアが世に出されるようになった。このテディベアのミュージアムを飛騨高山に誕生させたのが、高山市西之一色町の飛騨高山テディベア・エコビレッジ 取締役・館長の岡田賛三氏(電話0577−37 −2525)である。
 岡田氏はフジヤホームセンター11店舗を持つ経営者だった。流通は拡大していかなければいけない、という使命感から、平成7年上場会社であるホームセンター「バロー」と合併。副社長に就任。合併当時は社員800名だった。副社長として3年間やってきたが、バロー社長の経営手腕にこの人ならまかせられると、すべてをバローに渡し、身を引いた。その裏には岡田氏は55歳になったら別のことをやろうとかねがね考えていたからだ。50歳前から心の準備をしていた。そんなとき、外人観光客80%のホテル「旅籠 力車イン」を経営する瀬戸山えい子さん主催の「テディベアショー」が高山市で開催された。 どのベアも愛くるしい表情です。
世界的にも有名なベアが集ってきました。  世界で有名な人達が沢山集ってきていて、そのとき瀬戸山さんから岡田氏にも紹介された。テディベアについてなんの知識もなかった岡田氏は、知れば知るほど不思議な魅力にとりつかれてしまった。伊豆・蓼科・神戸・ハウステンボス・那須などにテディベアミュージアムがあると聞き訪れてみると、他のミュージアムはすいているが、テディベアだけが人が集っていた。次第にテディベア ミュージアムの夢が膨らんで行った。そんな折、たまたまアウトドア関連の雑誌に、合掌づくりの建物が売りに出ているのが目に入り、瀬戸山さんに話しをしたところ、テディベアミュージアム建設の話しがとんとん拍子にすすんでしまった。

 ティディベアの関係者にも瀬戸山さんから伝わり、世界的にも有名なベアが集ってきた。築130年の合掌づくりの家屋と築200年の農家を購入し、エコロジーをテーマとした「テディベアミュージアムとカフェ& ショップ」を建設した。ミュージアムとなった合掌造りの建物は、扉や格子戸などすべてアートとして活用し、カフェはオーガニック(無農薬・有機栽培)メニューを取り揃え、愛くるしいベアショップも豊富なベアたちで埋めつくされていた。「飛騨の里通り」に昨年7月にオープンしてこの一年、特別宣伝はしていなかったが5万人の来場者があった。新しい名所として脚光をあびつつある、飛騨高山テディベア エコ ビレッジはこうして誕生した。経営者にもいろいろな生きかたがある。新しい生きかたを見つけた岡田氏はさわやかだった。

  連絡 http://www.teddybear-eco-village.com

まるで意思をもっているかのようです。
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『うつりゆく商業環境と躍進するまちと店』
広野 嘉代子