想い出の玉手箱、奥飛騨おもちゃ博物館

2000年9月15
中部経済新聞掲載



想い出の玉手箱、
奥飛騨おもちゃ博物館

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 奥飛騨に珍しい博物館があると紹介されて、新穂高ロープウェー方面へと車を走らせた。橋を渡って坂道を上がっていくとそこに「奥飛騨おもちゃ博物館」はあった。明治31年頃に当家の五代目が江戸後期に建てた屋敷を移築したもので、数年前まで中畠家の生活の場だった。館内を案内されてその建物の素晴らしさと、なつかしい幼い頃のおもちゃの数々に圧倒された。なぜ、おもちゃ博物館だったのかについて、どんどん興味が沸いてきた。館長の中畠秀人氏(電話0578-9-3009)にうかがうことにした。中畠氏は昭和40年頃、まだ高校卒業間もない頃のこと、最初はオートバイを集め始めていた。

おもちゃ博物館/館長の中畠秀人氏
     おもちゃの売店の様子  
 しかし、大きくて高価な上、場所をとることから「おもちゃのオートバイ」に切り替えた。何かを集めることが好きだった中畠氏は、当時おもしろい記事が載っている古新聞も集めていた。大正6年の新聞の中に珍道楽の記事が30回位出ていた。その記事の中におもちゃ集めをしていた人がいて、「ブリキ(当時はブリク)のおもちゃが嫌いだ」という記事がのっていた。そんな時代におもちゃを集めていた人がいたことにも驚いたが、ブリキのおもちゃが嫌いだと言っていたことに、逆にそれらを集めてみようと思ったことがことの始りだった。おもちゃは意外なところに転 がっていた。仕事をしながらゴミ収集のところへ寄ってみると無残にもおもちゃが捨ててある。そういうところをあさっていたと言う。フリーマーケットに出ていたりしたものもあった。
 35年間くらいかけて収集しているので相当な量が集った。2〜3年 ブランクがあってもまた集めてしまう。集めたものは小さなものばかりではない。ミゼット(車)のレストア(再製)もした。部品を20万円位で購入し、車検が通るまできれいに組みたてると120万円くらいになってしまうが、これも2台つくった。昭和50年頃から勤めていた会社を辞め露天風呂のあるペンション経営も始めた。おもちゃ館を創ろうと思ったきっかけは平成2年に岐阜県教育委員会が新聞で発表した、まちかど美術館・博物館運動の記事からだった。利子補給制度や不動産取得税免除もあった。資金面のことや場所も何年も模索し続けた。家族の反対もあった。高山市や他の町や村からも創らないかとお誘いも受けた。
おもちゃ博物館全景
ブリキの玩具(動物)  しかし、中畠氏は奥飛騨には温泉とロープウェーしかないから、創るなら奥飛騨の観光施設のひとつとして大勢来ていただける場所にしたいと考えていた。大自然がすばらしいといいながらも、雨が降ってガスが発生すると何もない。だから地元の活性化のためにもここがいちばんと考えた。全国100ヶ所くらいある博物館のなかで特色のあるところを20ヶ所くらい回って研究した。しかし、何と言ってもいちばん苦労したのは博物館用に収集した訳ではないので、おもちゃが片よっていたことだった。やがて、群馬県の友達の協力で集ってきた。タイ・ビルマ方面からも大正時代のおもちゃが残っていて多く入ってきた。特に日本で作られたものだけを集めた。

 

 30,000点あるなかで、常時8,000点ほどが館内に展示されている。1,000点ほどは、日本玩具文化財団からの要請で、今年の正月から来年の8月まで、東京・名古屋・大阪・広島等の各百貨店で「2000年おもちや博物館展」として出展されている。いま、おもちゃ好きの人が集って登校拒否や校内暴力が直せないかと研究を始めた。子供達は昔のようにおもちゃで遊ばなくなった。素朴なおもちゃによって、すさんだこころも癒されるものではないだろうかと。いま、インターネットを通じておもちゃの素晴らしさを知って頂き、奥飛騨に来て貰おうとホームページを立ち上げる。子供の頃の思い出がおもちゃを通じて走馬灯のように蘇えってくるはずです。是非、会いにいってほしいものです。

博物館前・懐かしいミゼットがおいてある。
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『うつりゆく商業環境と躍進するまちと店』
広野 嘉代子