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2000年10月6日 |
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新穂高ロープェーは皆さんも一度は乗ったことはあると思うが、秋空の晴れた日のアルプスの山々が一望できる日のロープウェーでの眺めは格別である。焼岳も白い煙をあげている。車で行き止まりのところまで行って見たら、いたるところで温泉が吹き出していた。手で触れられないくらいの熱い温泉だった。槍見館( -やりみかん- 代表・林英一氏TEL0578−9−2808)も温泉が豊富なことでは他の旅館に負けない。このほど新潟の旧家を移築して10月7日(土)に改築オープンする。10年前から密かに考えぬいての結論だ。槍見館ができあがったきっかけは大正の後半頃、初代の林善之助さんが、栃尾温泉から山仕事にきていて、温泉が沸き出ているのを見つけたのが始りだった。 |
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あまり熱いので水で薄めていた。眺めのよいところを露天風呂にしたくてポンプアップしていた。眼下は大きな川で電気は水力発電でやっていたと言う。その露天風呂からは槍ヶ岳が一望できる抜群のロケーションだ。その頃は笠が岳の登山の人達の湯治場的にやっていた。20年前に林英一氏が引き継いだ頃は民宿だった。年間を通じて宿泊客があるのではなかった。部屋が空いていれば、登山道まで行き、お客さんの確保に励んだ。雪の多い冬をどうして食べて行くか悩んだ。古い民宿では厳しい。チラシを出して忘年会もやってきた。やがて登山宿を観光宿にした。10年前には見晴らしの良い場所へ風呂の移動をしたりもした。 | |
| とにかく来ていただいたお客様一人一人を大切にしようと考えてきた。地域の役員なども引きうけてきた。そのころからお客様に喜んでいただくにはどうしたら良いかと考え続けていた。どこの観光地も俗化していくなかで、「いなかづくり」が人々の癒しの場となる。「日本秘湯の会」(加入会員138件)の加入によって、お客様の癒しについて勉強してきた。バブル期に大きな宿を作ろうと思わなかったのも、この会で学んだおかげだった。小さくてもお客様に喜んで頂くという「秘湯の会」の教えが、癒しを求める時代にマッチしている。いい仲間もできた。考え続けてきて、いなかづくりの旅館をつくることに心は決まった。 |
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それからというもの、田舎の旧家をいろいろ何十件もさがしてまわる日々が続いた。そのうち高齢の方が引越しをされるかもしれないと言う情報があった。その方のところへ一年かけて交渉をし続けた。そして、買いつける事ができたのが、3年ほど前だった。これほどの大きい建物は他にはない。新穂高から丹生川村の旧家の見える道路を通る度にこんな家がほしいと思ってきたことがいよいよ実現できる時がきた。着工するにあたって工事費が大きくて重圧に思ったときもあったが、今は夢に向かって突進するのみだ。お客様に良いサービスをしようと思うと家内労働だけでは限界がくる。 | |
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スタッフも良い人材がそろった。いよいよオープンの時がきた。林氏は常に先のことを考えて行動してきた。10年後どうなるか、だから今なにをしたらよいのか。ホテル・旅館業界はどこも大変厳しい状況下にある。しかし、人が何を求めているかをじっくりと考え続けて結論をだしてきたことはすばらしい。全国に一緒に学ぶ仲間がいることも大きな心の糧となる。奥飛騨温泉郷のイメージにマッチしていることも繁盛する大きな要素である。今は新たにスタート台に立ったばかりである。ぜひみなさんもホームページ ( http://www.nande.com/yarimi ) を見て訪れて頂きたい。 |
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| トピック履歴一覧へ | 中部経済新聞連載記事(毎週金曜掲載) 『うつりゆく商業環境と躍進するまちと店』 広野 嘉代子 |
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