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2000年11月3日 |
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奥飛騨には新緑の季節の頃から何度も訪れて、その季節の移り変わりを目の当たりにしてきた。仕事の関係で全国各地を訪問してきたが、そんな中で奥飛騨上宝村は特に印象ぶかい。最初の仕事は6年ほど前であった。北海道での講演を終えた翌日、絶壁のような深い山々に囲まれた温泉地で、前日の北海道には雪がなかったのに、雪が チラチラ降っていたことに感動してしまった。深い山あいに温泉地が広がり温かい雰囲気が漂っていたことが思い出される。山が大好きな私はそのときから奥飛騨の魅力に取りつかれてしまったようだ。仕事も新幹線だけで行く仕事よりも在来線をゴトゴ ト走る単線にのっていく田舎町のほうがわくわくする。奥飛騨 「穂高荘」は新穂高ロー プェーに近く、雄大な北アルプスが一望できるところにある。 |
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穂高荘「山のホテル」・「山月」・「いいやま御苑」と3ヶ所あり「いいやま御苑」は高山市の中心街にある。経営者の野尻辰彦氏 (上宝村大字神坂577-13 TEL0578-9-2004) はこの奥飛騨観光協会 会長でもある。野尻社長はかつて東京都庁に勤務していた。勤務先からアパートまでは京浜東北線に揺られ約1時間、終点大宮駅から徒歩10分の狭い部屋に住んでいた。朝夕往復2時間以上の通勤時間とすさまじい通勤電車のラッシュにもまれた毎日だった。職場、私生活において都会での体験を重ねるごとに雄大な北アルプス、清流のせせらぎ、移り変わる四季と豊富な温泉、豊かな人間関係など一層ふるさと奥飛騨へ魅せられていった。 | |
| やがて父がやっていた家業の宿屋を継いだ。父は修繕係りから仕入、料理にいたるまで、時にはエンターテイナーとして軍服姿でお客様の前へ出て余興をやったりした。お金がなく納入業者に払えなく、借金を初めてしたときは苦痛だったと言う。全くの素人から始り営業もした事がなく、始めの頃はただがむしゃらに旅行業者を回ってきた。しだいに営業展開をしていくうえにも増改築は必要と考え、絶壁の予算の中で全額負債でまかなう冒険もしてきた。心配で寝つけずお勝手場へ酒を飲みに入った時、父がふんどし一つでビールを飲んでいた。そのとき「辰できるか」と言った言葉は今も忘れない。それから大小いくつかの設備投資をしてきたが、心配そうな顔もせず信頼してくれた。 |
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バブルからの継続で団体客が中心だった。安房トンネルがぬけて相変わらず団体客は多いが、海外旅行も当たり前になり、お客様のニーズも多様化してきた。除々に団体旅行が減る傾向をみせ、個人客にシフトしてきた。その日に天候がよければ旅行に行こうか。と言った個人のお客様が増えてきたのだ。予約をとらずに直接にくる。旅館もこうしたニーズにあわせた対応を考えていかなければならないと野尻社長はインターネットのホームページ開設をかねてから考えていた。インターネットの急速な進展は、若い世代からシルバー世代まで浸透していくことは間違いない。どこへ行こうかホームページであちこち調べ、旅館のホームページを繰っていく。お風呂の様子や料理を調べ、近くの見所まで確かめて旅行をする。ホームページを見ているだけでも楽みが倍増する。 | |
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予約は直接メールで行う。 道路網はプリンターで印刷して持って行く。こんな旅行者がこれからどんどん増えて行く。野尻社長はこれからの個人客への対応を考えてこのほどホームページを開設する。 |
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| トピック履歴一覧へ | 中部経済新聞連載記事(毎週金曜掲載) 『うつりゆく商業環境と躍進するまちと店』 広野 嘉代子 |
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