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2000年12月1日 |
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古い街並みが人の心にほっとした安らぎを与えて人気の高い高山市は、観光客がいつも多く訪れている。朝早く起きて宮川朝市を散策するのも楽しみの一つである。観光名所も多くいつも高山の街は活気にあふれている。平成8年の冬に温泉を掘った「飛騨亭 花扇」は、30年まえから高山市本母町で旅館を営んできた。飛騨亭花扇の支配人 飯山和義氏の父で代表取締役の飯山和男氏が、昭和45年28歳のときに民宿いいやま荘として始めた。当時は高山市から約1時間ほどの下呂温泉が宿泊地としては有名であり、観光地としては高山市も名前が通っていたが宿泊地としてはそれほどでもなかった。「高山にもこんなにいい旅館があるぞ」という意気込みで頑張ってきた。 |
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いかに関東方面からもお客様を呼び寄せられるか旅行社と一体となって営業活動をした。勿論単独営業も必死に行った。平成4年8月には10年前からの念願だった現在の飛騨亭花扇をいいやま荘の隣に創った。こつこつと10年かけて建物の材料を集めてきた。いかにお金をかけずに建てられるかを考えに考えて準備をした。通常の約半分の建設費で飛騨亭花扇は48ルーム250名収容の立派な旅館が完成した。広い敷地に悠然と立つこの旅館は贅沢とも言える玄関ロビーとそこを囲むように「池す」がある。そこには大きな鯉が何匹もゆったりと泳いでいる。なんとも落ち着ける和風の空間である。 |
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| 高山はまわりに奥飛騨 ・乗鞍 ・白川郷と高山を中心にして恵まれた名勝地があり、高山に宿泊してもらえばどこへ行くにも便利であることが、大きな売りで ある。「新穂高ロープエーや乗鞍」とのパックツアーも団体客募集として何度も売り出した。30歳の若い飯山和義氏は高山の町について、いつまでも今のままの高山て゛あってほしいと言う。今の高山が好きだからだ。旅行と言えばまず温泉地と温泉ブームであったが、高山には温泉がなかった。いくら高山が観光地であっても温泉がないと発展性がないと決心し、平成8年に発掘することになった。温泉が出る確立は 70%と言われていた。 |
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心配であった発掘も見事温泉は湧出して「天然温泉 神代の湯」の旅館としてスタートすることができた。次なる発展のため30年前に創ったいいやま荘を平成11年4月「花扇別邸いいやま」として改築し名前も変えた。お客様を受け入れる体制は充分整ってきた。和義氏は高山市での観光地の研究だけでなく、全国旅館環境衛生同業組合連合会青年部(全旅連青年部)の旅館総研委員会に所属し、全国各地の観光都市として発展している街を研究している。月2回くらい現地に行きなぜこの地は観光地として発展しているのだろうかなどをこまめに研究している。 |
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2年間研究し蓄積した成果を全国大会で発表する。全国規模での会だから、かなり同業者も集ってくるのでいろいろな情報が直接入手できる。東北方面でイベントで成功していると話しを聞けば、果たして高山にもってきたらどうだろうかと模索する。そんな連続でいろいろ有名観光地を訪れ研究をしてきた。次代を担う和義氏は高山の発展と飛騨亭花扇・花扇別邸いいやまをこれからも益々繁盛させるべき最大の努力を惜しまなくして行く事だろう。私もインターネットの旅行者向けサイバーモールという別の角度から高山の街づくりを応援して行きたいと思っている。 |
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| トピック履歴一覧へ | 中部経済新聞連載記事(毎週金曜掲載) 『うつりゆく商業環境と躍進するまちと店』 広野 嘉代子 |
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