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2001年2月16日 |
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| 愛知県知多市に変わった名前の飲食店がある。この店は地元を中心にして顧客が広がり団体やグループ、各種会合の場として地域に愛されている。その名前は「じろきん」で、現在の経営者の知多市・早川佳教氏 (準備中 http://www.nande.com/jirokin)の祖々父の次郎助さんと祖父の金次さんの頭文字「次郎金」をもらいつけたものである。当初は昭和42年12月に寺本地区で寿司とうなぎの店(10.5坪)を始めた。店が繁盛するにしたがい手狭になってきた。モータリゼーションの時代に入り、店の前の道路も渋滞するようになった。これからは駐車場がある広い場所でないとダメと思い思案していたところ、運良く思い通りの場所をかりることができた。 | ![]() |
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今の本店で昭和58年4月に「寿司、うなぎ、ステーキ」の店「じろきん」として開店した。5年前の平成7年増改築をして現在延べ230坪の店となり繁盛を続けている。駐車場は店の前の土地4ヶ所をかり整備して600坪と広く、どんなに大勢の会合にも対応できる広い店と駐車場が整っている。店舗は大小含めて7部屋あり、ロータリークラブ(42名)の例会でも5年前から毎週使っていただいている。店舗の外観は洋風でありまた和風とも思えるおしゃれで風格のあるお店だ。風格の一つは、店の顔となっている詩碑(しひ)によるものが大きい。「うつくしいきょうの私を見てもらいたくて、花の前でちょこんとすわっている」とおおきな石に刻まれた詩が店を一段と映えさせている。 |
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| この詩碑は早川氏の奥さんのお兄さんである杉浦祖玄氏の作品である。各部屋にも詩が掲げられていて、落着いた雰囲気を醸し出している。店内はステーキコーナーが左手に入っていくとあり、カウンター越しでも食事ができるし奥はテーブル席になっている。右手に入って 行くと寿司コーナーのカウンターがあり、奥や2階には各部屋それぞれお客様の人数によって対応できるようになっていて、落着いて食事が楽しめる。ライバル店がなかったとはいえ繁盛した。早川氏は人と人のつながりをもっとも大切にして生きてきた。本店移転から4年後の昭和62年には知多市勤労会館内のレストランへも店を出した。「シェフ次郎金」で知多市の顔となる店と位置付けている。 |
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低価格で単価500円を基準とし、特に会館利用者の利便性を重視した経営をしてほしいとの市からの意向に添い喫茶、ランチ、弁当を中心におこなってきた。そして次ぎに出した店が平成2年春、阿久比町に敷地面積300坪建坪100坪の店「和食次郎金」だ。すべて座敷の掘りコタツ形式の部屋で、寿司、てんぷら、和風ステーキの店である。この店はかつてはファミリーレストランだったが経営が傾き、大家さんから何とかしてくれないかと話があった。店は全面改装をしたが、以前から働いていた人を含め全部引きうけて店を開店した。早川氏のところへはいつも一緒にやりたいと言う職人達が集まってきていて、人材的には事欠かなかった。 |
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| 常に料理の腕を磨きプロの腕のある集団を作りたいと考えがんばってきた。料理をつくる作り手がきちっとしていれば経営は充分成り立つと早川氏は考え皆で腕を磨いてきた。人の3倍はみんなで働いてきたと言う。そんな中から和食の店の店長になっていってくれた。法事や婦人会、各グループの会食の場所として又、慶弔料理も引きうけるなど、お客様も広がってきた。 地域密着型でお客様に愛される店として成長を続けている。お店とは人と人とのつながりから広がって行く。満腹になると心が豊かになる。満足感がおいしかったにつながると早川氏。しかし、経営とはそんなに単純なものではない。やはり早川氏の食のプロとしての腕とお客様に喜んでいただきたいという強い思いが繁盛につながってきたのではないかと思うのである。ぜひみなさんも尋ねてほしい店である。 |
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| トピック履歴一覧へ | 中部経済新聞連載記事(毎週金曜掲載) 『うつりゆく商業環境と躍進するまちと店』 広野 嘉代子 |
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