部屋に露天風呂のついたぬくもりの奥飛騨温泉・隠庵ひだ路

2001年2月23日
中部経済新聞掲載



部屋に露天風呂のついた
ぬくもりの奥飛騨温泉
隠庵ひだ路

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 むかしながらの温泉地の風情をのこしているのは、やっぱり奥飛騨温泉郷かもしれないと最近つくづく思う。時代の流れでかつて温泉街として賑わっていた温泉地が様変わりしてしまったというところも少なくないからである。ここなら浴衣がけでぶらぶら歩くこともできる。福地温泉は平安時代に村上天皇によって開湯された伝説が残り、「天皇泉」とも呼ばれている。ラドン含有の無色透明で、湯量が豊富なため温泉成分がこく、体を芯から温めてくれる。私が隠庵ひだ路 (代表取締役山腰 薫 0578-9-2462 http://www.nande.com/kakurean準備中)に泊まったのは2年前の丁度今ごろであった。まわり一面が雪に覆われた寒い日だった。 奥飛騨温 泉隠庵ひだ路の門構え
こたつの向こうに露天風呂

 福地温泉街に向かっておりていくと山の壁面一体が氷におおわれ、ライトアップされていて幻想的で感動した。これは「青だる」と言い、岩からしみ出た水が垂れ下がるように凍りつき出来あがったものと言う。隠庵 ひだ路のたたずまいはしっとりと落着いた雰囲気が漂っていて、玄関の「つくばい」と中の囲炉裏にこころが癒される。各部屋には露天風呂がついていて好きなときに何度も入ることができる。疲れた心と体を癒すにはもってこいの温泉宿である。山腰 薫社長に隠庵 飛騨路の出来あがるまでを聞いてみた。ここは昭和47年ころから16代目の両親が民宿「飛騨路」をはじめた。もともとこの地は何もないところで、みんな農業と林業で生活をしていた。

 
 豊富な温泉だけはあった。昭和47年ころ新穂高ロープウェーができあがり、それを機会に福地に温泉宿を両親が始めて誕生させた。福地温泉のはじまりだった。当時は河川敷の露天風呂付き民宿を母親が経営し、父親が化石館と売店・食堂を営んでいた。ときがたつにつれ宿も老朽化し雨漏りがしたりするようになった。バブルの崩壊でお客様も遠のくようになっていた。山腰社長はその当時廃業まで考えたという。周囲でもつぶれたところもあった。だが、ここで生きていきたい、やるなら宿を経営したいと考えるようになった。銀行にも相談を持ちかけた。
かまくら
壁にさりげなく掛けられたりんどうの絵

 4〜5階建てで宴会やカラオケをやらないとダメと強く言われたが、私達夫婦の趣味ではないし、どうせなら自分たちが働きがいのある、そしてお客様とも細く息の長いお付き合いができる宿にしたいという思いが除々に強くなっていった。そんな宿が夢だった。お客様にゆったりと自分の別荘のように、ふるさとのようにして頂く宿としてやって行こうと決め今のような旅館をつくった。もうひとつは「自分がこういう宿で泊まりたい」、平屋建てで木造、そしてバストイレつきで、コタツがあって、ゆっくりできる。自分たちの時間を静かにじっくりもってもらいたい。団体バスで夜遅くついて朝早く出て行くというすごし方はイやだった。

 平成10年にオープンした。オープンしてうれしい誤算があった。若いお客様や親子関係と当初予定していなかった思わぬお客様が多いことだった。障害者のかたが車イスでこられたり、目の不自由な人や、耳の不自由な方などいろいろな方がいらっしゃる。こんなことならバリアフリーにすれば良かったと。団体客を入れなかった理由として「営業が苦手だったからです」と笑う。いま観光地は厳しい局面を迎えている。勝ち組みになるか負け組みになるかは経営者のしっかりとしたお客様を迎え入れる姿勢と時代をみる目を要求される。中途半端な気持ちでは経営はなりたたない。奥飛騨福地温泉隠庵ひだ路は、お客様のこころをしっかりとらえているようだ。
玄関を入るとすぐに囲炉裏。
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『うつりゆく商業環境と躍進するまちと店』
広野 嘉代子