椿まつりのイベントで盛り上る伊豆大島

2001年3月9
中部経済新聞掲載



椿まつりのイベントで盛り上る
伊豆大島

【なんでモアール】 〜全国の名産品・特産品を集めたショッピングモール〜

バックナンバ
ー はこちら↑

 
 新幹線で熱海まで行き、熱海港から船に乗って伊豆大島へ向かった。熱海はすでに早咲きのがきれいに咲いていた。大勢のお客様はみな嬉々として船に乗り込んだ。約1時間50分くらいの船の旅だ。船内は畳の客室があって自由に横になったり、眺めの良い喫茶コーナーでコーヒーを飲んだりと船旅を楽しんだ。途中少々船が揺れた。まちに待った伊豆大島に到着。曇り空のなかに島は歓迎ムードで盛り上ってい た。今日は夜7時30分から 「ITって?インターネットってなに?」のタイトルで講演である。出迎えて頂いた大島町商工会・経営指導員 菊地末男さん(TEL0 4992−2−3791)が今日は井戸を掘っていたら温泉がでてきた、と言う旅館に泊まっていただきますと案内された。今夜も温泉に入れそうと内心ニヤニヤ。「いつも講演会は人が集まらないので今日も10人くらいかも知れません。」と申し訳なさそうに言われる。 伊豆大島・椿祭りの様子
伊豆大島

 旅館に行く途中で講演会場へ寄りパソコンとプロジェクターをセットし、すぐ講演が出きる状態に準備した。旅館についてしばらくすると島全体に町内放送が流れてきた。「今夜はインターネットの講演がありますから、町内の皆様ぜひご出席くださるようご案内申し上げます。」島全体が一つになっていた。時間となり会場についてびっくり。10名くらいといわれていた出席者が40名くらいになっていた。さっきの町内放送がきいたのかも知れない。講演を始めてからもどんどん増えてくる。結果70名くらいになった。商工会主催の場合は商工業者が中心であるがインターネットの講演ということもあって感心が深いので今回は島全体に声をかけたと言う。約三分の一くらいは一般の人だったのだろうか。2時間の講演を30分伸ばして無事講演は終了した。これでわたしのお役目は終わった。

  翌日は土曜日であったがお休みのところを菊地さんが島を案内してくださった。島の中央に位置する標高764mの三原山の山頂はまだ先日来の雪が少し残っていて風も強く冷たかった。噴火当時をふりかえって生々しい声を聞くことができた。1986年11月21日の4時10分頃、突然震度5以上の地震となり、きのこ雲が発生した。数日まえから火口で噴火が始まっていて大騒ぎになっていたが、その日は違っていた。割れ目噴火が起きたと言う。210年ぶりの大噴火に遭遇した菊地さんは当時、消防団員で直接関わってい た。今はおだやかな三原山の姿に変わり割れ目噴火口や月面を思わせる砂漠風景がひろがり、すばらしい景観となっている。貸し馬もあるので馬上遊覧も楽しめる。 筆島
歌碑・「アンコ椿は恋の花」

 砂漠のように遠く広がる砂の山では映画の撮影も行われたと言う。ちょっぴり入ってはいけないところも案内して頂いた。しばらく行くと高さ30mの筆の形をした溶岩で出来た絶景の「筆島」が見えてきた。やっぱり海がすばらしい。そして、野口雨情作詞、中山晋平作曲「磯の鵜の鳥ゃ 日暮れにかえる 波浮の港にゃ 夕焼け小焼け・・・・」と歌われて有名な波浮の港についた。かつて火山の火口湖であったが大津波で海とつながり、その後、崖を切り崩し港口を広げ港になった。そのためか、湖のよ うに穏やかで静かな美しさをたたえていて、詩情豊かに歌われる「波浮の港」そのままだ。歌碑が港口に建っている。

 また、この周辺のたたずまいはかつて漁港で働く男達が泊まった宿場町として、飲み屋街として栄えた面影が残されていて、ちょっと歩いてみたくなる郷愁が漂う。ここかしこに椿の花をながめながら通りすぎていくとバームクーヘンのような弧を描いて重なり合った見事な道路にさしかかった。万年の昔から数百回も噴火を続けた歴史がここにも現れていた。その道路は延々と続いていた。海底火山の噴火によってできた大島は常春の島とも呼ばれ、冬には椿の花が春には大島桜が島全体をおおい尽くすと言う。菊地指導員さんのお人柄と島国独特の味わいがここにはいっぱいありました。
大島町商工会経営指導員 菊地末男さん・間伏地層切断面にて
トピック履歴一覧へ 中部経済新聞連載記事(毎週金曜掲載)
『うつりゆく商業環境と躍進するまちと店』
広野 嘉代子