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2001年3月30日 |
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飛騨高山は雪の多い長い冬を越し、いよいよ暖かい春もそこまで来ている。清見から国道41号線に向かう少し高台の道路から高山方面を眺めると、高山市内を抱くように真っ白なアルプス連邦が見えてきて、そのすばらしさに感動する。まだまだ寒い高山は、1ヶ月おくれの遅い春が来る。5月上旬に桜の開花となると言う。高山の名所となっている高山陣屋から歩いて3分のところに、あるホテル高山宝生閣はこの4月1日より露天風呂付き客室をオープンする。その工事がすでに完成した。このホテルは高山市馬場町1丁目88にあり、代表取締役井辺一章氏(TEL:0577-34-0700 http://www.nande.com/hoshokaku/ )が経営するホテルで、このほど露天風呂付き客室6ヶ所とお食事どころ「宝月」をつくった。 |
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井辺社長がホテル業界に目を向けた理由は意外なところにあった。大手電機メーカーに当初は勤めていた。ホテル業界への転職の理由は、大手企業の学歴と資格社会に先をみてしまったことにある。どう頑張っても課長どまりだと気づいてしまった。現在、課長になっている人をみていると、自分の将来もここまでだなと見えてしまった。とにかくトップ(社長)になりたかった。そんなときホテルの支配人の応募の話があった。何とかして支配人になろうと考えた。そこで自分のPRを人とは違う方法で行おうと知恵を絞った。 |
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| 普通の履歴書では目に付かない。だれもやらない巻紙を使った。そこへ免許だけでも15種類も書いて知っている限りの人脈を生かして字の上手な人にその巻紙に書いてもらった。そんな努力のかいあって5人応募の中から支配人に選ばれた。応募者は30代〜40代の人達で、そんな中から若干25歳の一番若い井辺社長が選ばれた。無事支配人に採用されたのが昭和46年。福井県や下呂町に勉強に行き、次ぎの年の昭和47年にホテルはオープンした。 | ![]() |
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その後昭和53年には自分で会社を発足。株主を集めて10年期限で高山市内の旅館 を借り経営した。平成元年には現在の宝生閣の土地を株主を集めて購入した。そして、平成4年に東京のデベロッパー会社と組んで現在の宝生閣の建物をつくり共同経営をはじめる。ところがバブルの崩壊でそのデベロッパー会社が倒産。裁判などいろいろあったが平成9年に裁判で勝ち取り単独経営となりようやく自分の思う経営ができるようになった。「人にすかれる宿屋づくり、対応の良い社員づくり」をモットーに邁進を続けてきた。今回オープンの露天風呂付き客室は6部屋である。露天風呂に入りながら、高山市内が一望できる最高のロケーションを想定して、露天風呂づくりをした。 |
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| ゆったりと自分たちだけの時間をつくって頂こうと部屋へ食事をだすのをやめ、お食事処「宝月」も別につくった。この4月1日に同時にオープンする。今後の目標は靴をぬいでリラックスして過ごせる宿屋づくりを目指している。そのため今年の12月から再度パブリックの部分を改修して靴を脱いで泊まる宿屋づくりの工事に入る。そして旅館の名称も四季折々のおもてなしをコンセプトに「四季屏風 宝生閣」にあらためようと考えている。高山駅からも車で5分と恵まれた立地のもとに着実に夢を実現している。25歳の時社長になりたいと決心したそのときから、常に目標に向かって走りつづけた人生に拍手を送りたい。「人は考えた通りの人間になる」 とボブコンクリンの言った言葉が思い出される。こうなりたいと思えば必ずなる。井辺社長の情熱的かつ柔和なお人柄が旅館づくりにもにじみ出ていた。 |
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| トピック履歴一覧へ | 中部経済新聞連載記事(毎週金曜掲載) 『うつりゆく商業環境と躍進するまちと店』 広野 嘉代子 |
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