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2001年5月25日 |
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岐阜県瑞浪市は陶器としても有名なまちであるが、料亭を経営し料理人でもあり作曲も手がける異色の人物に出会った。お店は瑞浪駅から徒歩2分と便利な立地にあり、昨年8月に都市計画の道路拡張に伴うセットバックにより新築した。その店は「四季の膳 ひさご」で海野一美氏(瑞浪市 寺河戸町常磐通り TEL0572-68-2658 http://www.nande.com/hisago 準備中 )が経営する。店づくりも海野氏自身が料理職人ということもあって、家づくりのプロに頼んで作った。いろいろな部分でプロの技が生かされている。壁塗りのプロ、左官屋についても、左官職人として自分の生き様を残すつもりで仕事に飛び込んでもらった。お願いした以上文句なしですべてプロの技にまかせた。当店は県外のお客様も多いこともあって、地元や多治見市の作家さんの器を紹介したいと、店の中に展示する場所を設計士にデザインしてもらった。 |
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壁をくり貫いて器が展示してある。店内は美術館に来たような空間づくりが施してある。壁も波状になった線がうまく調和して素適な客室が生れた。照明器具も特注だ。昼間は気付かないが夜になるとお店はひときわ照明によって料亭「ひさご」の店が蘇る。店内に入ると大きなカウンターが左手にある。その大きめのイスは岐阜県美濃加茂の「ならの木」で作ったもので、これも職人にお願いした特注品だ。極めつけは冷蔵庫を壁と一体化したことである。壁と同じ材料で冷蔵庫をぬってしまった。とっても自然体で違和感がない。そんな技の結集で生れたお店だから、匠の技に負けない料理を作ろうと思ってやってきた。海野家は昭和20年に静岡市から引っ越してきた。もともと父親は料理人で静岡市では料亭をやっていた。 |
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| 海野氏の母親の実家が瑞浪市の山奥の「日吉町」にあり、戦争の疎開でこちらに帰ってきた。その年の暮れに現在地で店を構えた。当時は戦争のドサクサでもあったし、料理といってもむつかしく、関東と中部と味が違うことでも初代は苦労したようだ。先祖代々静岡市だが、海野家のルーツは信州の海野という地の出身だと言う。本当は海野氏は作曲の道に進みたかったが、常連のお客様がついていたこともあって料理人として生きることを決めた。かつての店は居酒屋風だったが30年前から昔の料理屋イメー ジで創作料理に取り組んできた。名物料理の「射込トマト」は中身が鳥のミンチをあしらって旨味をだしてあり、仕上がるまでに8時間かかる。 |
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お客様においしく食べて頂くために既製品はない。湯豆腐もあんかけ仕立てになっている。料理は手間を食べて頂く。一生懸命仕上げる。かといって時間をかければよいと言うものでもない。「どじょう料理」 も得意料理のひとつだ。今ではどじょうを開く職人が少なくなっていると言うが、これからの職人たちにも伝えて行こうと一生懸命教えている。「むきもの」ではだいこんで鳥や鶴を作ったり、人参では亀もつくる。市の主催の「食生活改善委員会」のメンバー50人に新年のおもてなし料理の講演と調理の講習もやってきた。お客様は固定客が多く、金融関係・会社経営者・議員の先生など客層は広い。一度来たお客様はリピート客となり再度この地を訪れた時はまた寄ってくださる。 |
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料理人としての道を選んだが作曲についても20歳くらいから仕事の傍ら続けてきた。昭和63年には東京の作曲家協会の会員となった。音楽学校を出ていないのでかえって既成概念にとらわれず、BGMの曲とか歌謡曲・ポップスの中間の新しい分野に取り組んでいる。料理をつくっているときとか、車に乗っているとき、散歩をしているときなど曲は出来あがる。「MGCラテンポップス」というバンドを組んで活動もしている。瑞浪市の文化向上のため昭和56年から年2〜3回古典落語も開催する。異色の職人はやはり感性も異色のようだ。私は本気で料理職人として自信をもって生きている海野氏に出会って、日本の良き食文化を後世に伝えていってほしいものとつくづく感じた。 |
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| トピック履歴一覧へ | 中部経済新聞連載記事(毎週金曜掲載) 『うつりゆく商業環境と躍進するまちと店』 広野 嘉代子 |
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