ふじや旅館

2001年6月22

中部経済新聞掲載




露天風呂がすばらしい
飛騨白川郷平瀬温泉ふじや旅館

 世界遺産白川郷合掌造り集落を訪れたのは6〜7年前の冬のことだった。岐阜県商工会連合会 経営指導員さんの運転する車にのって御母衣ダムを通りぬけ白川郷の合掌造り集落に向かった。旅館や飲食店の店舗指導をするためだった。高山市からどの道を通ったかはわからないが、御母衣ダムは水がまんたんになっていて圧倒される勢いがあった。あたりはしんしんと雪が降り始めていた。高山ではみられなかった雪が合掌造り集落につくと白銀の世界だった。白川村商工会の経営指導員さんがせっかくだからといって、集落が一望できる高台に案内をして下さった。彼もこの集落の合掌造りの家に住んでいて民宿を営んでいると言う。なつかしい思いが次々に思い出され る。

ふじや旅館
日本秘湯を守る会

 平瀬温泉ふじや旅館(05769-5-2316)はダムを通りぬけしばらく下って行くと旅館が見えてくる。ゆっくりと車を走らせていくと玄関に「日本秘湯を守る会」のちょ うちんが目に付いた。元気の良い旅館は玄関先から勢いが違うものと思った。ふじや旅館は昭和初期頃から小坂旅館の名前で開業し、平瀬発電所の工事の人達の宿として始めた。昭和30年に御母衣ダムの工事が始まるようになり、その頃に現在のふじや旅館に変更した。平瀬温泉ができたのは昭和35年頃で、65度から70度と高い温泉が涌き出る。泉質は良く、いろいろな病気の治療にも効果があると言われている。ダムの工事が始まった昭和29年頃は、工事をする人達だけで3,000人くらいの人達がこの村にやってきた。白川村の人口が3,000人くらいだったから6,000人になった。その人達の料理をつくることからふじや旅館は始まった。

 経営のすべてまかされ、若い感性で経営にあたっている。しかし、小坂氏は昨年春まで名古屋の大手飲食店チェーンの店長をやってい た。まだ家業を継ぐべきかを迷っていた時期でもある。店長になる前の3年間ほどは家業の旅館を手伝っていたが、知合いの紹介で飲食店をやることになった。かなりの成績をあげることができたが、店長と言えどもチェーン店では本部からの支持でやっていくことになるので、面白みはなかった。もともと東京育ちで大手の電力会社勤めの小坂氏であったが、いなかが好きだし興味もあった。白川村は奥さんの実家だ。飲食店の店長を辞め、戻って家業に専念してみると課題も山積していた。旅館の建物も老朽化しているし、客室にはトイレがない。露天風呂も本館から離れている。しかし、ふじや旅館に泊まりたいというお客様も沢山できてきた。
料理
露天風呂

 ご存知のように白川郷は通過型の観光地で宿泊のお客様はまだまだ多くはない。ふじや旅館に泊まりたいと言うお客様をもっともっと作っていきたいと真剣に考えるようになった。そこで小坂氏はいま新たな旅館づくりを計画している。田舎づくりの落着いた旅館を作ろうとすでに建築資材の準備を着々と進めている。自慢できる温泉も整っている。もちろんこれから露天風呂も増設する予定だ。現在の旅館はダムの建設工事の仕事をしている作業員の方々の宿泊地としてはじまった宿である。新たな旅館は国道沿いから一本道を隔てた現在の建物の裏手に予定している。

 道路に直接面していないので静かなところである。駐車場も充分確保してある。背後にはそびえ立つ山があってすばらしい。私は白川郷に新たな旅館が誕生することに拍手をおくりたい。白川郷のイメージにあった新しい旅館はきっとお客様に喜ばれることは間違いない。こうした元気な旅館が誕生することによって平瀬温泉に新たな風が吹くことだろう。私は出張したときこの村で泊まりたいと思った。できることなら1週間くらいこの地でゆったりと過ごしたいと。ここにはそんな安らぎと安堵感がある。

ロビー
トピック履歴一覧へ 中部経済新聞連載記事(毎週金曜掲載)
『うつりゆく商業環境と躍進するまちと店』
広野 嘉代子