2001年7月6日 中部経済新聞掲載 |
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信州奈川温泉は中央自動車道から長野自動車道の分岐点を松本方面に向かい、しばらくしてインターをおり、どんどん山手のほうへ登っていく。奈川温泉はかなりの山奥の温泉地だった。道は細くトンネルの中で分岐点があってそこを抜けると大きな奈川渡ダムがある。吸い込まれそうに深く澄んでいた。奈川村の集落はそのダムの奥にあり、奈川温泉「富喜の湯」(電話0263−79−2014)は白骨温泉や乗鞍方面へも続くところにあった。野麦峠もすぐ近くだ。今年4月に結婚したばかりの若女将の大久保弘子さんが迎えてくれた。 |
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この奈川温泉は弘子さんの祖父が昭和33年に奈川村に温泉旅館を始めたもので奈川温泉を創った最初の人だ。その後に村としても温泉を掘り旅館も数多くできてきた。祖父は松本で大きな海産物問屋をしていたが、奈川村に温泉があることを知り、昭和20年代の後半にボーリングを行った。祖父55歳のときだった。98m掘ったところで37〜38度の温泉が涌き出た。当時まだ父 大久保嘉三さんは学生だったが、次男ということもあってこの旅館を継いだ。その頃はまだダムはなく、川に沿ってここまで道がつながっていた。昭和30年代の後半にダム建設がはじまり、角ケ平地区の集落は水没していった。旅館はつくったものの、始めの頃はお客様はすくなく、学校の合宿等で利用してもらっていた。ダム建設がはじまりその関係者のお客様が増えるようになった。それからは自然に世間にも知られるようになり、一般のお客様も来て頂けるようになっきた。当時は名古屋方面のお客様が圧倒的に多かった。 |
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| それからしばらくしてからのこと、話題となった「あヽ野麦峠」の映画の話が持ち上がり、主人公の「政井みね」役に最初に抜擢された女優の吉永小百合さんが現地視察に当館を利用された。今はセピア色になってしまった写真を弘子さんの母、彰子さんが見せてくれた。吉永小百合さんは小柄できゃしゃな人だったようだ。その後ご存知のように主役は大竹しのぶさんにかわっていた。原作者の山本茂実さんも2度ほど泊まられた。雑誌等への広告掲載は多少やってきたが特別な営業活動はしてこなかった。しかし、昭和51年に「投汁そば」というかわった料理をだす旅館として朝日新聞に掲載されたことによって、当時の朝日旅行会の社長さんの目にとまり訪問して頂いたことから、「日本秘湯を守る会」に入会できた。入会には旅館の内容等を調査され秘湯の宿にふさわしいと思われるところだけが入会を許可される。それからは朝日旅行会主催の団体や個人のお客様が来て頂けた。 |
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昭和50年代から60年前半くらいは非常にお客様がおおかった。平成4年1月に父親の嘉三さんが亡くなってからは縮小傾向にあった。そのとき、若女将は学生だったが卒業と同時に旅館を手伝うことになった。客層は秘湯を守る会のお客様が中心になっていた。特に会で行っている「日本の秘湯を歩く」のスタンプラリーは全国各地145ヶ所にある秘湯の宿を3年間で10回宿泊しスタンプを貰うと1回分の宿泊が無料となるもので、温泉好きのお客様がこのスタンプカードを持って多く宿泊して頂いた。とにかく母娘で頑張ってきた。今年4月に弘子さんは雅之さんと結婚し、新たな意欲に燃えている |
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現在のお客様は半分くらいがリピーター客でそのお客様を大事にしていくと同時に、この自然豊かな奈川温泉をもっと知っていただき、新たなお客様を創っていきたいとインターネットのホームページを活用しようと考えている。こんな場所こそインターネットが必要だ。今どんどん自然が破壊され俗化してきている。しかし、奈川村には自然がそのまま残っている。春は山菜やここでとれたそばがある。夏は涼しくさわやか。秋はすばらしい紅葉と「きのこ」がおいしい。こんなに自然が豊富なところがあったとは驚きだった。こころもからだも癒してくれる。若いふたりの旅館づくりに大いに期待したい。 |
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