施工例1

2001年9月14

中部経済新聞掲載



ものづくりたちの作品展を
明治村で開催の
ひらおかステンドグラス
平岡和広氏

 ステンドグラスと言えば西洋の文化と伝統の中で育まれた芸術であるが、高級感があって異国情緒を備え不思議な魅力をもつ。今でこそ家庭でも取りいれられてきているがそれも最近のことである。このステンドグラスを世に普及させた一人としてステンドグラス作家の平岡和広氏(愛知県半田市亀崎町10−17TEL0569−29−3310)は努力を重ね、現在では中部圏の主要な公共施設、JR、名鉄、の駅構内、ホテル結婚式場などの民間施設や多くの個人住宅を手掛ける。自宅横の工房 で、型紙に併せガラスを切断し、鉛の棒で絵取りし、ジグソーパズルのように組み合わせ、はんだで鉛を溶接して仕上げる。

平岡和広氏
ものづくりたちの作品展

 9月22日から博物館 明治村で開催の「ものづくりたちの作品展」に出品するステンドグラスの製作に取り組んでいる。平岡氏とステンドグラスとの出合いはこんなところから始まった。洋画家になるため、18歳で名古屋芸術大学に入学したが、専門的な勉強をするほどに画家を将来の職業にすることに疑問を感じはじめていた。自分が表現したいと描く絵と商売として成り立つ絵とは相反することに気がついたのだった。大学入学直後から自分が生涯を賭ける表現の手段と素材を探し求めた。そんな年の夏、興味本意から大阪で叔父が営むステンドグラス工房を訪問し、色ガラスを光りに翳して覗いてみた。そのときガラスの底知れぬ魅力にとり付かれ、さっそく叔父のもとに弟子入りし、将来自分の工房を持ち、ステンドグラス作家を生涯を賭ける職業とすることを決意したのだった

 大学での絵画の勉強と並行し、二束のわらじをはいて、叔父のもとでステンドグラスの技術を磨くと共に、工房経営のノウハウを習得していった。大学卒業直後は実社会での自分づくりのため、当時最も厳しい就職先と言われた大手アパレルメーカーのワールドに就職。他人の釜の飯を食うことにした。しばらくして、地元の中学の校長先生とのご縁から地元中学校の美術教師をすることになった。一時は、教師が天職と考えたこともあったが、85年25歳の1月に念願のステンドグラス工房をわずかな自己資金でオープンした。

照明照明
時計

 当時はこの中部圏では、ステンドグラスは非常にマイナーな業界で、商売をはじめる以前に全く知名度のないステンドグラスの普及とPR活動からはじめなければならなかった。行政や設計事務所、などありとあらゆる所へ自らステングラスの魅力を語り歩かなければならなかった。その当時は、一級建築士の大手設計士でさえ、ステンドグラスはキリスト教会のイメージと決め付け、話すら聞いてくれなかった。しかし、努力の毎日から一歩づつその評価は高まっていった。工房開設から3年後の90年には世界デザイン博覧会に単独出展「平岡和広のステンドグラスの世界」を開催。翌年には東海ガラスアート展90に入選。そして、マスコミにも登場。名古屋テレビ「一芸一話」の対談番組に出演。99年には国の重要文化財「聖ヨハネ教会堂」ステンドグラス全面修復・復元工事を担当する。

 この9月22日からは博物館 明治村で開催する「ものづくりたちの作品展」では全体の企画構成を担当する。この作品展では西洋の文化と伝統の中で育まれた芸術を、日本のステンドグラス作家が創作する以上、日本特有の文化と風土の中で「わびとさび」の心を持った光と輝きを放ち、日本建築に映える和のステンドグラスの可能性を追求したいと意欲を燃やしている。これからの夢として、ものづくりを愛する仲間がお互いに技を磨き、ものづくりの精神を豊かにする道場となる工房が集まる芸術村を知多半島に建設することを夢みて頑張っている。

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『うつりゆく商業環境と躍進するまちと店』
広野 嘉代子